友人の質問
いつだったか、私が地元北海道に帰った時の話です。
友人と久々に再開し、お酒を交わしていました。
久しぶりに会って話すことと言えばただ一つ。
「お前いまどこでなにやってんの?」ということでした。
高校出て何年も経ってましたから、みないろいろな職業についておりました。
もちろん私にも聞かれました。
「え?俺?いま広島で坊さんやってる」
そう答えると、驚かれました。
わたしの実家はお寺ではないし、
何より学校もろくに行ってなかったわたしがお坊さんだなんて。
「世も末だね」なんて言われながら飲んでおりましたら、
友人がひとつ質問を投げかけてきました。
「浄土真宗を拝んでなんかいいことあんの?」
という質問でした。
簡単にいうと「浄土真宗のご利益って何?」ということでしょう。
「いやいやだまされたと思ってね、月に一度お寺に参って
なまんだぶ、なまんだぶ…とお念仏するとね、
あれだけ調子の悪かった膝がよくなるんよ」
…そんなコンドロイチンみたいな力、浄土真宗にはありません。
なんでも私の願いが叶うわけでもなければ、
事故や病気から私を護ってくれるわけでもないでしょう。
それの証拠に、浄土真宗のお寺にお参りしても、
お札もお守りも置いていません。
願い事を書く長い木の札みたいなものもありません。
じゃあ、「浄土真宗のご利益」って何なんでしょう。
梯先生のお言葉
私がお育ていただいた大阪の梯實圓という和上様がこう仰っていました。
「親鸞聖人のお念仏の教えに遇う、ということは
心の豊かさと、心のしなやかさをいただくということやろな」
私はしばらくこの言葉の意味がわかりませんでした。
行信でこの言葉に出会って、およそ十年ほど経ちましたか。
ようやく最近この言葉を味わえるようになってきました。
朝夕のお勤めを欠かさずやっていれば。お念仏を毎日していれば。
そんな私の行いの引き換えとして何かを得ていくのではありません。
阿弥陀さまという仏さまは「いつどこで何があるかわからんのんよ」と
仰ってくださるのです。
これが本当のやさしさですね。
わたしの耳には「病気が治ります、事故に遭わないですよ、願いが叶います」
そんなやさしい言葉のほうが聞きやすいのかもしれません。
ただこの言葉って本当の「やさしさ」ですか?
病気になったり、しんどい目に遭っていったとしても
誰も責任とってくれないんですよ。
阿弥陀さまは本当にやさしい仏さまです。
嘘は仰いません。
「いつどこでどんな目に遭うかわからんのんよ。」
と言ってくださる。
それだけなら絶望感しかないかもしれませんが、
「だからこそ、いつどこでどんな目に遭っても
大丈夫な仏になったよ」
と言うてくださる。
この言葉に私たちは安心させていただくのでしょう。
仏光寺の標語
この梯先生の言葉を味わえるようになった
きっかけとなったのが、京都の仏光寺さんというお寺の標語でした。
2012年9月の標語です。
「落ちた葉は
土なら肥え
アスファルトなら
ゴミになる
私のあり方は どっち?」
という標語でした。
ここでいう落ちた葉っぱというのは、
ただの落ちた葉っぱということではありません。
しんどかったご縁ということでしょう。
そのしんどかったご縁を
固い固いアスファルトの心で「ゴミ」として受け止めて
ホウキ持って一生懸命になって
「こんなことなかったらよかったんだ」
「あれさえなければ…」
と掃いていくのが私の心なのかもしれません。
その固いアスファルトの心を
落ちてきた葉っぱを心の肥えとして受け止め
歩んでいくことのできる私へ
育ててくださるご法義だということでしょう。
もっと言ってしまえば
「葉っぱが落ちてこなくなる教えじゃない」ということですね。
今宗教と言ったらこればっかりですよ。
「葉っぱ落ちてきませんように」
「悪いことがやってきませんように」
そればっかりを願うから、いざ思いもよらない風が吹いて
ドサッと葉っぱが落ちてきたときに
受け止め方がわからんで、押しつぶされてしまって、
生きていけなくなる。というのが私の姿なんでしょう。
だからこそ、その受け止める心の側を変えてくださる。
そのような教えが仏教なのかもしれませんね。
柳に雪折れなし
「柳に雪折れなし」という言葉があります。
どれだけ松のように立派な木だったとしても
ドサッと雪が降れば、折れてしまいます。
しかし、柳は折れません。
「しなやかさ」があるからでしょう。
松のように立派にならなくていいんです。
立派であろうとすればするほど、
しんどくなります。
この先どんなことが私の人生にやってこようとも、
「お前さん、いつだって支えてるからな。」
と言うてくださる仏さまがいらっしゃるんです。
その言葉に支えられて生きていく。
どれだけしんどいことがやってこようとも、
「あれは本当に厳しいご縁だったけれども、
決して喜べることではなかったけれども、
今思えばありがたいご縁でした」
そんな受け止めができる「心の豊かさ」と
何がやってこようとも、押しつぶされない
「心のしなやかさ」をいただく。
これが浄土真宗のご利益のひとつなのでしょう。
いつだって仏さまが支えてくださってある人生です。
お念仏とともに今日も大切に過ごさせていただきましょう。
合掌。なまんだぶ。